FUNKISTは、仄暗い洞窟の中から一筋の光を見ていたようなバンド
──最近、染谷さんが中学校や高校でソロ・ライヴをしている映像も拝見したんですけど、人間味に溢れているというか、「人間が好き」だから、“誰かのために音楽を届ける”のがFUNKISTなんじゃないかと思うし、そこにはメンバー3人の共通した思いがあるのかなって。
染谷:僕らは同じ地元の小学校で、宮田とヨシロウは同級生と2個下の後輩なんですけど、地元があんまり良い環境の街じゃなくて(笑)。「人間が好き」というよりは、「信じたかった」というのが大きいと思うんです。自分自身は中学生の頃まで南アフリカのアパルトヘイトがあって、日本でうまく学校に馴染めずに何度も傷ついたり人を信じられなくなっていました。でもFUNKISTでライヴをやったときに、初めて世界に受け入れてもらえた気がして。それまでは「どうせみんな嘘をつくんだ」と斜めに世界を見るような人間だったんですけど、僕らの曲を聴いて手拍子してくれた人たちを見て、「世界って思ったより悪くないのかも」っていう瞬間と出会えたんです。たぶん、3人共通してそこに救われた気がするんですよね。自分たちにできること、できないことをまざまざと知っていく中で、「俺たちは音楽の中で繋がれるよな」ということを、きっと他のバンドよりも強く信じたかったバンドなんだと思います。
──染谷さんは、お母様が南アフリカのご出身とのことですが、ご自身も幼少期はそちらの方で過ごされたんですか?
染谷:生まれ育ったのは日本なんです。というのも、当時南アフリカは人種間の恋愛も結婚も禁止されていて、母と父が人種間を超えての結婚だったので、自分は「生まれてきてはいけない存在」だったんですね。だから日本で生まれ育ちながら南アフリカには自分の居場所はないという環境でした。「肌の色の違う人とはわかり合えない」という価値観を持った国に自分のアイデンティティを置いていることに対してのフラストレーションもあって、「俺たちはわかり合えるって証明してやる」みたいな、反逆精神に近いものもあったと思います。
──ヨシロウさんは、今の話を聞きながらすごく頷いていましたね。
ヨシロウ:僕自身が、FUNKISTの音楽に救われた最初の人間かもしれないと思ってるんですよ。自分は結構な灰色の青春時代というか、家庭環境もあまり良くなくて、「音楽をやってなかったらどうなっちゃってたんだろう」ぐらいの感じだったんです。でも今の僕は「人を好きです」と言うことができて。FUNKISTのライヴや作品によって、聴いた人が良い方向になれるようなエネルギーを出していきたいと思ってやっています。

染谷:よく、「FUNKISTの音楽って温かいよね、優しいよね」って言われるんですけど、ずっと温かいところや穏やかなところにいたというよりは、仄暗い洞窟の中から一筋の光をずっと見ながら、「あの光って明るいよな」っていうことを感じていたバンドなんですよ。だからその光を信じたかったし、「人と繋がれる」っていうことを最後まで諦めたくなかったんですよね。
──宮田さんは非常に柔和で穏やかそうですけど、昔はそうでもなかったんですか。
宮田:いや、僕はそういう感じではないつもりです(笑)。家庭環境も普通だと思ってたんですけど、自分の父親がフラメンコ・ダンサーで、染谷の父親(フラメンコ・ギタリスト)とはスペインでフラメンコの修行仲間だったっていうのが後でわかって、同じ街に居ながらじつは似たような家庭環境だったんだなって。小1のときに染谷が転校してきて僕はすぐ仲良くなったんですけど、自分の友達が染谷のことをいじめたりするのを目の当たりにしたときに、すごい不思議で。どっちもいい奴なのになんで仲が悪くなるのか理解できなかったし、染谷がそのときに「俺の国籍は日本だ。パスポート見せようか」って言ってて、そこで国籍やパスポートというものを知るような感じで。その後も変わらずっと一緒に遊んでいたんですけれども。
染谷:俺もヨシロウもそれなりに悪いことをして怒られたりしていたんですけど、宮田はそういうことは全くないんです。ただ、高校のときに毎夜〈clubasia〉とか〈VUENOS〉に通って、朝まで素面でずっとテクノを聴いてた人なんですよ。俺はいちばんヤバいのはこいつだと思ってました(笑)。
宮田:お酒とタバコが苦手なので、クラブは水を飲みながら純粋に音楽を聴きに行ってました。
──水を飲みながら朝までテクノを聴いているって、確かにいちばんヤバそうですね(笑)。
一同:ははははは(笑)。
──CDシングルには、2024年10月7日に行われたヨシロウさん復帰ライヴ〈Comeback〉より、“I'm back”と“47climax”のライヴ音源が収録されます。当日はどんな気持ちでステージに立っていたのでしょうか。
ヨシロウ:指と腰の怪我で1年9ヶ月ぐらい休んでいたんです。今までの音楽人生でこんなに人前に出なかったことはなかったですね。復帰2ヶ月前まで杖をついていたんですけど、復帰ライヴでは休止する前よりももっといい動きを見せることを自分に課しました。また2人と合流できたこと、ファンのみんなの声が聞けたこともすごく嬉しかったですね。