“Snow fairy”は世界との繋がりを広げてくれた曲

──でも、3人それぞれ音楽ビジネスの素養があった環境だったのでは?
染谷:うーん、ビジネス感覚はあまりなかったですね。僕の父も、ひたすらギターの腕を磨いてるようなタイプで、いわゆる“売れる”ことには無頓着だったし。
宮田:僕もバークリーでビジネスの授業は取りましたけど、資料作りの工夫やアドバイスの話が多くて、音楽家として生きていくための実践的なキャリア・プロセスはあまり教わらなかった印象ですね。
染谷:バークリーってスタジオ・ミュージシャン養成的な側面が強いから、バンドマンとはまた違う世界なんですよね。
宮田:あと、僕の父もフラメンコ・ダンサーで、協会に入れば活動がいろいろしやすくなるのに「俺は絶対入らん!」って、ずっとひとりで教えるような人で(笑)。おかげで生徒の数も限られてるけど、それでも自分の道を貫いてる。
──そういう反骨精神は、確実に受け継いでると。
染谷:プロ=ビジネスで成功する人というより、自分にしか出せない音を持ってる人が一流だと思ってるんです。だから日本のメジャー・シーンとはかなり感覚が違っていたかもしれないです。まさに“音楽シーンのガラパゴス”って感じ(笑)。
──この時代のリリースでは、TVアニメ『FAIRY TAIL』の主題歌に起用された“Snow fairy”が印象的ですね。
染谷:僕はもともと『FAIRY TAIL』の原作漫画が好きで読んでいたので、嬉しすぎてFUNKISTらしさを度外視して思いっきりアニメに寄せて書きました(笑)。
──ハリネズミが針を引っ込めた?(笑)
ヨシロウ:ハリネズミが急にハムスターみたいになって(笑)。
染谷:日本での『FAIRY TAIL』放映から10年後に世界中で放送されるようになって、海外ツアーに行った先でお客さんたちから「この曲知ってる!『FAIRY TAIL』の曲でしょう?あなたたちの曲なんだね!」って声かけてくれることもあって。また、“Snow fairy”がきっかけで海外でのジャパンフェスに呼んでもらえたり、世界との繋がりをさらに感じられた曲です。
──そういう意味で、メジャーでの活動が確実に実を結んだ時期でしたよね。
染谷:そうですね。でも、取れたタイアップはサッカーやアニメやプロレスなど、結局自分の好きなものが関係していることだけなんですよね(笑)。やっぱり好きなもの以外はできない自分の頑固さを改めて感じた時期でもありました。
ヨシロウ:でも、それをさせてもらえたのは幸せなことだよね。