スペシャル・フォトギャラリー
INTERVIEW : FES☆TIVE

FES☆TIVEの19枚目のシングルの表題曲“#素敵なソラシド”を聴いてしまって以降、「ドレミファソラシド」のメロディーが頭から離れない。とんでもない中毒性である。今作にはその他にもグループとしても新たな軸の“シン・フェスティヴ -大怪獣祭(しなさい)-”や、激エモナンバー“キボウボイス”などとにかく強い楽曲を収録。FES☆TIVEはグループとして、激動のなかを走っているが、まだまだそのフロアの熱は変わらないだろう。ぜひ良い音質で聴いてもらい、ライヴでもお祭り騒ぎで盛り上がってほしい。
インタヴュー&文 : ニシダケン
撮影 : MANAMI
TDCで一体感を感じられたのが嬉しかった
──2025年がスタートしましたが、まずは昨年2024年はどんな年だったか、漢字一文字でそれぞれお願いします。
辻こはる(以下、辻):私は「変」です。FES☆TIVEは、やっぱりメンバーがすごく変わったんですよ。理央那が加入して、ゆっちゃん(髙木ゆりあ)が卒業して、茉彩が入って、ひなりん(青葉ひなり)の卒業発表もあって、みたいな感じで、変化の年でした。
与田理央那(以下、与田):去年の漢字は「祭」です。去年、「お祭り系」アイドルのFES☆TIVEに加入して、いろんな祭りを体感した一年だったからです。
八木ひなた(以下、八木):私は「濃」ですね。やっぱり2024年、思い出がめちゃくちゃ“濃い”一年だったなと思うんです。あとは2024年一番飲んだお茶が、「お~いお茶 濃い茶」だったからです。
土光瑠璃子(以下、土光):私は、「決」です。2024年は、卒業を決断した年だからです。
本多しおり(以下、本多);私は「忙」です。去年は、忙しかったんです。結構1年中バタバタしていたので。
仁科茉彩(以下、仁科):私は「走」かな。理由は、2024年から加入して、環境の変化もあって、あとたくさん覚えることが多くて、“走”り抜けたからです。
──みなさんがおっしゃる通り、昨年2024年は激動の変化の年でした。2024年7月には、仁科さんが加入しました。これまで活動してみていかがですか?
仁科:FES☆TIVEで活動をはじめて、半年くらい経ちました。みんな優しくて、分からないところがあったらすぐ気づいて教えてくれますね。これまでにリリースしてきたFES☆TIVEの曲を覚えなくちゃいけないんですけど、メンバーみんなその苦労をわかっているから優しくしてくれてます。


──他のメンバーからみて、仁科さんはどういう印象ですか?
八木:明るいし、コミュ力が高い。
与田:友達が多い!
土光:おもしろい! MBTIがエンターテイナーだから、いつも楽しいを提供してくれます。
仁科:ありがとうございます(笑)。でもみんなもおもしろいです。


──その2ヶ月後の9月12日には、TOKYO DOME CITY HALL(TDC)にて、グループ最大規模となるワンマンライヴ「FES☆TIVEワンマンライブ-青春心拍-」が開催されました。
土光:過去最大規模だったので、はじまる前は緊張していたんです。でも花道のステージの入れ方がいつもと違って。横長の細い花道で“レフトライト”って曲がやりやすい形になっていて。楽しかったです。
辻:平日だったから人が来てくれるか不安だったんです。でも当日立ってみたら上の階の隅までペンライトでいっぱいでした。地方から来てくださった方もいて、すごく嬉しかったです。自己紹介でソロダンスがあったり、曲間のつなぎとかワンマンらしい感じで、それがかっこよかったですね。
八木:“マジカルパレード”という曲のときに、ファンの方が一緒に歌ってくれるパートがあるんです。当日はイヤモニをしていたから、ファンの方の声ってなかなか聞こえないんですけど、そのタイミングでイヤモニを外した時に歓声に驚きました。それが本当に嬉しかったです。FES☆TIVEは、ライブでのファンの方との一体感を大事にしているんです。TDCでその一体感を感じられたのが嬉しかったです。
──印象に残っていることはありますか?
八木:衣装を着替えるタイミングでオレンジ担当の青葉(青葉ひなり)のマイクを私が間違えて持って帰っちゃったんです。代わりに青葉が私のマイクを持って歌っていたんですけど、イヤモニから自分の声が一切聞こえないのに青葉の声だけが届いていました。すぐ気づいてマイク変えたんですけど、歌っていて自分の声が聞こえないから音程が合っているのかもわからないし、二度としたくないですね。
本多:私は、アンコールの後に“祭りの後”という曲で、お客さんの方に歩いて行ったことが印象に残っています。ボール投げたりして、触れ合えた感じがして嬉しかったです。
──ちなみにFES☆TIVEでは誰が一番肩強いんですか?
辻:茉彩じゃない?
仁科:私かも。学生の頃、ソフトボール部でセカンドを守ってたんです。ライヴのときに投げたボールは軽すぎて逆にあまり飛ばなかったんですよ。でも2階に届くように、一生懸命投げました。

