オルタナティヴを標榜するのはもうやめた──NOT WONKにやどる普遍性と、ある実験について

NOT WONKが前作から4年ぶりとなる5thアルバム『Bout Foreverness』をリリースした。今作は、藤井航平(Ba.)脱退後に、ほとんどふたりだけで制作された作品となる。
今作のリリースに伴い、OTOTOYではNOT WONKの活動拠点である北海道・苫小牧でインタヴューを実施。加藤修平発案の苫小牧でのビッグ・パーティー〈FAHDAY2024〉についてや、その準備期間中につくりはじめることになった今作の制作方法、タイトルにもなっている“永遠性”についてなど、多くのトピックスについて話してもらった。「作らないとわかんねえ、なんでも」と言えるほどに実験を行った作品と、その精神に是非触れてみてほしい。
そして! OTOTOYでハイレゾ音源を購入すると、レコード用に調整されたLPカッティング・ヴァージョン音源がお聴きいただけます。マスタリングで音圧をギリギリまで詰め込む事によって失われる、音楽的ダイナミクスのストーリーをこちらの音源ではお楽しみいただけるとのこと。
OTOTOY購入者特典として、LPカッティング用の別ヴァージョン音源を付属
INTERVIEW : NOT WONK

NOT WONKが5枚目にして、ここまで個人的かつ親密な、それが故に普遍性を獲得したアルバムを出すなんて。しかも音楽的な挑戦も全く失われない状態で。『Laughing Nerds And A Wallflower』をだした10年前に、誰が想像できただろう。そんなふうに、自分が追い続けてきたこのバンドについて想いを馳せざるを得ない。
ザ・ジャムなどの70年代UKパンク、あるいはメガ・シティー・フォーはじめとしたUKメロディックや、ハードコア・パンクにそこから派生した初期エモ、〈クリエーション・レコーズ〉ラインのオルタナティヴ・ロック……それらへの愛を起爆剤にした1,2枚目。ジェフ・バックリーの歌とソウルに魅入られながら、独自のダイナミクスを確立した3枚目。UKジャズとドラムンベースを元にしたリズムの実験、そして音響作品としての挑戦を志した4枚目。NOT WONKはそんなふうに声を枯らしながら、変化し続けてきたバンドだ。
そして今作はこれまでの変化を経て、音楽的に最も大事な部分……詩とともにある歌、フィードバック・ノイズ、目の前に立ち上がるような音の録音/配置、タペストリーのように移りゆく構成とダイナミズム……を、自身を遡りながら手繰り寄せたものになっている。そもそも、三人からふたりになるという大きな変化のもとでは、ソリッドにする必要性に駆られたのかもしれない。とはいえ今は今しかない。これは、必然と偶然、両方の作用によってできた作品だ。
もうひとつ、2024年10月に加藤発案のもと苫小牧を広く使って開催された〈FAHDAY〉の存在もある。詳細はホームページに譲るがそれは、NOT WONKの活動拠点であり続けてきた苫小牧という場所に宿るものを、拠点を別にする人々も含めお互いに見せあい、次の地点を目指そうとする「表現の交換市」。今作はそんなビッグ・パーティーの準備の最中、制作されたものになる。
ここまでである程度の前提は共有できたので、まずは読んでいただこう。前日から苫小牧の音遊び場〈bar BASE〉、〈ROOTS〉に行き、〈ヴァンカム〉でパスタを食べたあと、ふたりが高校生の頃勉強しに通っていたという苫小牧カルチャーセンターで撮影を行い、the hatchのパーティーに向かうべく辿り着いた〈PROVO〉近くの喫茶店で、本インタヴューは行われた。
インタヴュー&文 : TUDA
撮影 : Mai Kimura
ただ、俺たちはいま作らないといけない

──11月に苫小牧のビッグ・パーティー〈FAHDAY2024(以降、FAHDAY)〉を終えて、2月にアルバムリリースというのはスケジュール的にも大変だったかと思うんですが、いつから作りはじめたんですか?
加藤修平(以降、加藤):8月頭にレコーディングがあって、6月にゼロから書きはじめました。作曲スタートからアレンジメントが完成するまで、録りながら考えていくところも多かったです。
高橋尭睦(以降、尭睦):あの2ヶ月は半年くらいの濃度でした。
──多忙ななかでも作ろうと決めたのは、いまがタイミングだと思ったから?
加藤:そう。僕はミュージシャンなので、〈FAHDAY〉をやるんだったら、自分のモード的な最新の音も一緒に出したかった。当日、アルバムから演奏したのは「Embrace Me」だけだったけど。
──パーティーを作るということを、作品的にやったじゃないですか。だから、アルバムを作ることは、バンドとしての自分たちを確認するような作業だったのかなと。
加藤:確認作業という感じもあったし、記録しないといけないっていう切迫感があったのかな。ベーシストもいなくて、普通やらないタイミングだし、いい作品ができるかもわからない。その確信も、曲もない状態だった。ただ、俺たちはいま作らないといけないっていう。
尭睦:それ以前から、どこかのタイミングでアルバムを作らないといけないという話はしていて。新曲自体しばらく出していなかったし。バンドをやってるんだから、新しい曲をどんどん作ってプレイ面でも挑戦したかった。2024年は、ベーシストがいなくなって、分岐点に立ったような状態だったので、いまの段階でレコーディングをしたら、見えるものもあるんじゃないかなっていうのがあった。いままで通りやることはできないという気持ちもありましたし。
加藤:どうしても、三人の頃をなぞる形にはなってしまうからね。それはもう嫌だし、NOT WONKらしさとかいわれるけど、そのときやってるのが「らしさ」だという気持ちがある。
──〈FAHDAY〉自体は振り返ってみるとどうですか?
加藤:おもしろかった…けど、すごく晴れやかな気持ちには意外とならなかったんです。人となにかを作ること、バンドじゃない共同体でなにかひとつのものを作るとき、いい意味でも悪い意味でもその人の本質に触れることがあって。そこがおもしろかったのが一番。中身はおもしろくなるようにしているわけだから。ライヴが最高だったり飯がうまかったり、音響が良かったり、そうなるようにしているからね。
尭睦:俺は日中仕事をしているぶん、関わりきれていない部分が多かったので、悔しさもあります。自分に課せられた『FAHDAY新聞』の編集は本気で頑張れたけど。
加藤:初めて尭睦が書いた文章を読めたし、こんな難しいこと知ってるんだなって思ったり(笑)。それが良かったな。
尭睦:いろんな人に文章を書いてもらったのですが、自分では〈FAHDAY〉がどういうイヴェントになるのか、どうなったらおもしろいか、という話を書きました。アメリカにバーニングマンっていう、砂漠の真ん中で金銭のやり取りが禁止された状態で、みんな飯とかアートとかをぶつけ合って、最終日に巨大な人形の形をした像を燃やすという行事があって。そういうのと絡めて書きました。
──こういうふうになるんじゃない? という予想を共有することで、それが事実になることってあると思うので、そんな相互作用によっても、形作られたパーティーだったのかなと思ってます。
加藤:俺は、理想を語り合うことって大事なことだと思っている。それがないとなにも始まらない。金がないからとか時間がないからとか、自分のなかで変に折り合いをつけて人に提出してしまう癖が、人にはあると思うんです。いや、そういうのじゃなくて、本当はなに食いたいの? っていうのが一番大事。「自分、ステーキ1キロ食いたいです」みたいな、全員のそれを聞きたい。理想をぶつけて相互交換し合うことが大事だし、いってしまえば俺はそれを形にすることができると思っている。想像できることは、実現できる、と思ってる。


──加藤さんは、〈FAHDAY〉と前作『dimen』の間にも、ソロプロジェクトSADFRANKのリリースやツアーもありましたよね。あのプロジェクトは日本語の歌を中心に据えて、いろんなミュージシャンと制作するという性質があるわけで、今作の歌の強度が上がったのはその影響もありそうです。
加藤:自分の歌を信用できるようにはなりました。そもそもSADFRANKにトライしたのは『dimen』のときに自分の歌が雑だなと思って、もっと歌をよくしたかったのと、日本語で歌ってみたいというのがあったからなんだけど。ソロを経て、今回は、僕はヴォーカルだから歌だけ聞いても大丈夫なように歌うし、尭睦はドラムだけで聴いていても気持ちいい音楽になるように叩いてもらって、っていうふうにやった。その上で、歌の要素は特にでかくなっていると思います。
──完全に日本語にはならなかったのはどうしてでしょう。
尭睦:メロディが乗らないから?
加藤:それもある。日本語だと音符が少なくなってしまうんですけど、それを揃えるために音節を増やしたら、自分が好きな歌じゃなくなる。今作で日本語で歌えた部分は、言いたいことが言えていて、リズムやメロディの問題をクリアしている部分だけ。自分のオッケーラインというのがあって、それは聴いてみていいかどうかだけなんですけど。聴いて気持ちよくないときに、なぜかを考えてみて、もう一個ここに音符が入らないと歌いたいフロウにならないからだな、とか。そういうふうに進めていっている。
──ふたりのパートがそれぞれ個別でもちゃんと音楽に聴こえるように録ったということですが、今作においては緻密な調整によってそれがなされている気がします。どういうふうに作っていったんでしょうか?
尭睦:加藤くんの中にいろいろな曲のストックがあって、そこからエッセンスを抜き取っていくみたいなことをしていました。この曲の感じでこのリズムをやってみたらすごくない? とかフレーズ自体はあんまりだけどこのグルーヴ好きだからトライしてみたいとか。それを試しながら曲が少しずつできていきました。ここの音符ひとついらないよね、とか細かい調整をしながら、追求していきましたね。
加藤:僕は、「オルタナティヴ」とされるロックバンドがする音楽的なトライが、どんどん定型化していると思っているんですけど。基本的にはダンス・ミュージックやヒップホップのエッセンスをバンドのフォーマットにどれだけ落とし込んでそれを演奏するか、というところ。でも、僕はそれをやるつもりがもうあまりなくて。ロックもパンクも好きだから、8ビートがこれ以上おもしろくなるかどうかについて考えていこうと思ったんです。ハーモニーとリズムを自分なりに解釈するってどういうことなんだろう? というところを、今回探っていった。UKジャズのニュアンスからハイハットのアクセントを考える、とかでもできるけれど、それをニック・ロウでやってもいいんじゃないかな、と。だって、アカデミズムのなかでの優位性があろうがなかろうが、音楽の高尚さは絶対に変わらないんだから。クラシックもジャズも聴いていて素晴らしいと思うけど、それがパンクより素晴らしいかっていわれたら、俺は頷けなくて。